町永三郎
町永 三郎(まちなが さぶろう、1884年10月13日[1] - 1966年9月1日)は、日本の実業家。神戸製鋼所社長と尼崎製鉄社長を務めた。
経歴・人物
新潟県出身[1]。1913年に大阪高等工業学校機械部機械科を卒業し、神戸製鋼所に入社した[1]。1944年に取締役に就任し、1946年に公職追放を受けた浅田長平に代わり、社長に就任した[2]。浅田長平が復帰した1952年を機に副社長に就任し、1955年には尼崎製鋼所社長も兼任し、1958年に尼崎製鉄社長に就任した[2]。
脚注
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- ^ a b c 興信データ株式會社 1966, ま67頁.
- ^ a b 1958年 10月11日 朝日新聞 朝刊 p5
- ^ 1965年 11月3日 読売新聞 朝刊 p6
- ^ 1966年 9月2日 読売新聞 朝刊 p15
参考文献
- 興信データ株式會社『人事興信録 第23版 下』興信データ、1966年。